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イ・アンさん・・・今日のJATA世界旅行博2006にて
イ・アン 이안 さんといえば・・・私は、韓国映画『あいつはかっこよかった』の主題歌「うお座 물고기자리」b0037434_205754.jpgで初めて知った韓国の女性歌手です。2年前でしょうか。

そのイ・アンさんが、今日、ビッグサイトで開催中の世界旅行博に来られるとの情報があったので、行って来ました。まず、歌を歌って、インタビュー、そしてさらに歌と、予想していたより、たくさん歌が聴けたので、良かったです。

歌は上手いです。イベント会場なので、周りがざわざわしているし、天井が高くて壁の前で音響も悪いし、かなり歌いにくいと思いましたが、”演歌歌手”的な歌の上手さです。歌いっぷりも落ち着いていました。

見に来ていたのは、NHKで放送中の『チャングムの誓い』のテーマ曲を歌っている関係で、やはり年配のかたが多かったでしょうか。
午後4時過ぎ、まず、司会の嵯峨百合子さん(NHKハングル講座に出演中)が登場。そして、嵯峨さんの紹介で、イ・アンさん登場です。
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まず、『チャングムの誓い』のテーマ曲を歌われましたが、この曲は短く、紹介代わりという感じでしょうか。その後が、「うお座」でした。生で聴けて、感動しました。そして、次が「オンセミロ 온새미로」(調べたところによると、「永遠に」という意味の純ウリマル=純粋な朝鮮語だそうです。)でした。「シンドン 신돈」というドラマのOSTに入っているようです。

そして、嵯峨さんによるインタビューですが、通訳のかたが緊張されていたためか、イ・アンさんの韓国語を直接聞き取ったほうが良く分かる部分もありました。なお、イ・アンさんは、近々、東京で上演される「くじら島」というミュージカルの主役として出演されます。
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インタビューが終わった後は、再び歌。こんなにたくさん聴けるとは思いませんでした。しかも、「アリラン」ですよ。やはり、韓国の歌手が歌うアリランは良かったです。その次の曲も、アリランと何かの曲を混ぜた曲だということでしたが、忘れてしまいました。
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そういえば、インタビューの途中で、日本の曲で好きな曲は何ですか、と尋ねられて、美空ひばりの「川の流れのように」と答えておられました。そして実際に、さびを丸々日本語で歌ったのですが、これが年配のお客さんにうけてました。イ・アンさん、プロフィールでは80年生まれだそうですが、日本の音楽の好みが渋すぎます・・・。

インタビューでの情報によると、日本には、東京、福岡、奈良、別府、山口など10回ぐらい来られているそうですが、東京でまだ行っていなくて、これから行ってみたい場所は、クラブだそうです。クラブに行って、若い人たちの活気を感じたいとか。自分がお若いのに、そんな発想をしてしまうところが、演歌的な感じもしますが・・・というか、根っから真面目で素朴な人なんですよ、たぶん。とにかく、身のこなしも話し方も落ち着いていて、好感度でした。
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by tmasada2 | 2006-09-23 20:43 | 韓国いろいろ消息
『僕の、世界の中心は、君だ。』を見ました
どの分野にも、それぞれ専門性があります。学問の世界にも、芸術の世界にも、です。芸術の世界で言えば、音楽の世界にも、映画の世界にも、それぞれの専門性があります。

映画の世界であれば、映画を作る側の人はもちろん、映画を批評する側の人も、一定の専門知識を持っていることがあります。そのような専門知識には、この監督はあの作品では何を担当していたとか、この俳優はあの映画ではあの役をしていたとか、そういう履歴としての博物学的な知識だけでなく、技術に関する知識も含まれるでしょう。

しかし、技術というのは、それを使うことはあっても、それについて語るものではないと思います。映画や音楽について、その技術について論じる必要などない、ということです。(技術を伝授することも、技術を使うことに含まれます。)

映画や音楽の技術について、人が口にする必要があるのは、それを使うときだけです。しかし、技術について論じる人が結構たくさんいます。彼らは、そうすることによって見栄を張りたいから、そうしているのです。これは、技術を使うことにはなっていません。

そして、見栄を張っている人にお金を払う人も、結構たくさんいます。彼らは、そうすることによって、自分の見栄も売り物になることを期待しているのです。こうして、見栄っ張りが、ひとつの職業として認められ、増殖していきます。

映画を見て、どんなふうに自分の心が動かされたかを語ることには、意味があると思います。しかし、どんな手法が使われていたかは、映画学校の先生でもないのに、語って何になるのでしょうか。単に、自分はこんなことも知っているんだぞと、見栄を張りたいだけなのです。

私は、映画は、単純なほうがいいと思います。単純でないと、心が動かされないからです。複雑だと、心より頭が動いてしまうのです。見ていて、いろいろ考えてしまうのです。そんなものに2時間も使うんだったら、家へ帰って、自分の研究で使う資料を読みます。

いろいろ凝ったことをやっている映画は、特に日本映画にはよくあります。でも、そんな小難しいことをやって、こちらが関心するとでも思っているのでしょうか。

なぜ、直接心を動かしてくれないのでしょうか。なぜ、いろいろ小難しいことをやって、ほらどうだすごいだろ、みたいなことのために、俳優の体力を消耗させるのでしょうか。

『僕の、世界の中心は、君だ。』は、単純な映画でした。でも、それがいいのです。単純な映画だから、見て、泣いて、終わりです。でも、それ以上に何が必要なんでしょうか?

日本の映画版の『世界の中心で、愛をさけぶ』も見ましたが、こちらは複雑な映画でした。余計な小細工が多すぎる映画でした。とにかく、余計なものだらけ。なぜ、これが賞賛されるのでしょうか。技術は黙って使うものであって、ほら使ったよ、と分かるように使うものではありません。この映画は、批評家を食わせるために作られた映画です。決して、人の心を動かすために作られた映画ではありません。そして、批評家は小難しい議論をして、制作側の人間を食わせるのです。見栄っ張りの助け合いです。

そして、一般の人たちも、なぜかその見栄の張り合いの輪に参加しようとします。わたしはこんな凝った映画を良い映画だと思っているのだから、わたしはきっと”ひとかどの人物”なんだ、と思いたい。しかし、本当のひとかどの人物は、日々の努力以外のものによっては作られないのです。

うまく見栄を張るか、へたに見栄を張るかの違いだけを気にする人がたくさんいると、うまく見栄を張らなければ人生はうまくいかない、とみなが思ってしまいます。でも、日々何かについて努力を重ねれば、誰でもひとかどの人物になれるのです。そして、それは、決して難しいことでも、複雑なことでもないのです。

ただ、それは楽ではありません。うまく見栄を張れば、かなり楽に、ひとかどの人物になったかのような気になれます。うまく見栄を張った人は、成功しているかもしれません。例えば、高い地位を得ているかもしれません。だから、ストレスも多いかもしれません。でも、そのストレスは、正しくない道を通って人の上に立っていることからくる、良心の呵責ではないのでしょうか?

そのストレスは、正しくない道を通って人の上に立っていることからくる、良心の呵責ではないのでしょうか?

単なる良心の呵責を、あたかも人生の悲哀みたいに言わないで欲しいのです。良心の呵責を感じているんだったら、いまのその地位を捨てて、もう一度、少しずつ何かを積み重ねて、正しい道を歩きなおしたらどうなのでしょうか。近道をして人の上に立ってしまった良心の呵責を、あたかも人生の大きな悲哀みたいに言わないで欲しいのです。

悲しみは、もっと小さなところに散らばっています。

大切な人を失うということは、あなたの名前を呼んでくれる人がいなくなる、ということであり、だから、「うん」と答えを返す人がいなくなる、ということなのです。大切な人を失った悲しみを伝えるために、それ以上の何を表現する必要があるのでしょうか。『世界の中心で、愛をさけぶ』の、「助けてください」なんて、はじめから要らなかった言葉なのです。なぜなら、悲しみは、その人の心に深く沈んでいるからです。

でも、良心の呵責に苦しんでいる人は、叫びます。なぜなら、その呵責に耐えられないからです。自分が悪いことをしているということを、少しでも外に出して、楽になりたがっているからです。ほとんどの人間は、悪事にたえられるようには、できていません。だから、良心の呵責に苦しんでいる人は、たいてい露悪的になり、そうして楽になろうとします。

しかし、悲しみは、叫びません。悲しみには、何の後ろめたさもないからです。悲しみは、悪ではないからです。人の悲しみを描けなかった『世界の中心で、愛をさけぶ』は、駄作です。これを見て喜ぶのは、見栄っ張りだけです。

でも、『僕の、世界の中心は、君だ』は、人の悲しみを描いていました。映画としては、それだけで十分ですし、それができてはじめて、映画です。

しかし、日本で、『僕の、世界の中心は、君だ』をほめると、映画を分かっていないやつ、と、たぶん思われるのでしょう。

見栄っ張りの傷のなめ合いが、映画以下の映画、音楽以下の音楽、研究以下の研究を、増殖させている、と感じているのは、わたしだけでしょうか。
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by tmasada2 | 2006-09-11 22:19 | 韓国いろいろ消息
Linaはアンミョン島へ・・・
しばらく書き込みなしですみません。ちょっといろいろ考えることもありまして・・・・・・まあ、でも、音楽が好きでよかったです。音楽は美しいです。そして、「音楽の向こうには明日があります。」・・・というのは、NHKの朝の連ドラに出てきた言葉ですが。韓国語だと、
음악 건너에는 미래가 있다.
という感じでしょうか。合ってます?

さてどうやら天上智喜のみなさんは韓国で少しお休みをとられていたようです。まだ休みは続いているのでしょうか?分かりませんが・・・。

Linaの日記が日本公式HPに載ってましたね。休みの間に、アンミョン島というところへ、遊びにいったとか。

調べてみました。アンミョン島は漢字で書くと安眠島。名前からして、いい場所な感じです。例えば、こことかここに行くと(韓国語ですが)いろいろ情報収集できますよ。観光地図は、例えばここ。私も行ったことありません。機会があれば行ってみたいですね。
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by tmasada2 | 2006-09-09 00:45 | 天上智喜