[韓国 ハイティーン1987年9月号] 歌手キム・ワンソンの人気がますます上昇している。
昨年、「Tonight」をタイトル曲とした最初のソロアルバムを発表すると同時に、歌謡界に彗星のように現れたキム・ワンソンは、現在まで、その新鮮さを忘れさせないどころか、日が経つにつれ洗練されていく舞台マナーと歌唱法で、今や韓国を代表するに値する大型歌手として成長してきている。 実際、彼女のデビュー期間が、たかだか二年に過ぎないことを勘案すると、キム・ワンソンのこのような成長は、韓国歌謡史でその類例を見つけることができない急成長であり、そこに80年代以後の文化を最も良く代弁する、様々な特徴的な姿と記録を見せてくれるキム・ワンソンは、現在、ファンたちの喝采を最も熱狂的に浴びていると言える。 実際、歌謡界の専門家たちは、キム・ワンソンの登場と現在の活動を見て、異論の余地なく、彼女が今後韓国歌謡を世界市場に進出させる尖兵役をするのに、最も適した人物に選んでいる。 今まで、彼女の活動像と、海外から押し寄せてくる彼女に対する各種提案を勘案すると、キム・ワンソンは、昨年の慎重な出帆から、今や確固たる基盤を固めた段階に来ていると見ることができる。 韓国歌謡界が突然国際化、大型化されるとともに、外国のアーティストたちとジョイント公演をする場合、最もふさわしいレベルの公演ができる歌手を挙げろと言われれば、現在の歌謡界の企画会社は、すべて、最高順位にキム・ワンソンを選ぶ。 まさにこのような選好度からも分かるように、キム・ワンソンは、韓国歌謡界が80年代後半を迎え、必然的に経験しなければならない国際化の余波に、わが国を代表して外国にわが国の歌手たちの魅力と才能を誇示しうる、代表選手だと言える。 実際に今まで기껏해야デビュー2周年を迎えるキム・ワンソンが、ジョイ、ステイシーQの来韓公演を始めとする各種外国アーティストたちの来韓公演の常連のスペシャル・ゲストとして招請され、26日、チャムシルのオリンピック・スタジアムで開かれた、オリンピック祝賀ショーに、外国の有名歌手たちとともに舞台に立つ歌手として、真っ先にオファーが来たことを見れば、さらに彼女の真価を知ることが出来ると言える。 歌謡界デビュー2年を迎え、今国内の舞台だけでなく、世界市場からも注目を集める能力がある歌手として成長したキム・ワンソンの近況と、歌謡界デビュー2年とを、総決算してみる。 キム・ワンソンは、9月2日、ソウルを離れ、18日まで日本を訪問してきた。国内のテレビにも中継がされたが、大阪で開かれた民族シルム大会に、チョ・ヨンピル、ミン・ヘギョンとともに祝賀ショーをするため、ニュー・オータニ・ホテルを宿泊先とし、日本に渡ったとのこと。 これまで、在米韓国人慰問のためにアメリカを訪問した経験のあるキム・ワンソンとしては、二番目の海外公演である今度の日本公演には、しかし、また別の目的があった。 これまで、『ハイティーン』のニュースカフェ欄を通じて短信として伝えられてきたことではあるが、昨年末以後、日本の世界的なレコード会社であるビクター・レコードでは、キム・ワンソンの「Tonight」「終わった話」などを、日本で発売しようというオファーを粘り強く進めてきた。 そして、玄界灘を間に挟んで、レコード吹き込みの条件をめぐって、舞台裏で話し合いが継続的に進行されると同時に、キム・ワンソンを高く評価したビクター・レコード社側では、第3部長である飯田氏を韓国に直接派遣、粘り強く勧誘したと伝えられている。 ビクター・レコード社の飯田氏は、日本出身の世界的な歌手、森進一、ピンクレディー、そして、以前にpax musicaで国内のファンたちにも初めて出会った谷村新司などを、直接管掌し、レコード・ディレクティングを引き受けているビクターの実力者。 このように新人歌手としての一歩を踏み出したばかりのキム・ワンソンをスカウトするために、日本の大物級の人物が直接来韓したことは、国内最初、前例がなかったことで、当時、このような事実ひとつだけでも歌謡界関係者たちの関心を引いた。 いずれにしても、このような仕方で日本側から大きな関心を表明していたキム・ワンソンの渡日祝賀公演は、ビクター・レコード社側にとっては逃すことのできない機会であり、この機会に本格的に契約の締結と録音吹き込みをしようという提議をし、キム・ワンソンは、大阪での祝賀公演を終えて、9月5日からは、東京の全日空ホテルに宿泊しつつ、録音をしたと言う。 レコード吹き込みをする場合、外国の場合は普通、初めてお目見えする歌手の場合は、シングル・アルバムを通じた雰囲気の打診を終えてから、CDやLPを追加で採るのだが、今回のキム・ワンソンの場合は、当初はシングルだけを出すことにしていたところを、彼女の可能性に確信を抱いたビクター・レコード社の副社長の直接の指示により、LPとCDを同時に発売する方へと方向転換したと言う。 東京から帰国した直後、ハイティーンでは、読者たちの関心症を解消するため、彼女と彼女のマネージャ、ハン・ベキ氏に会った。 -今回、日本に相当長い間行って来られましたが、ことはすべてうまく運びましたか? *ソウルでテレックスだけ持って交渉が来て行っていたのに比べれば、ずっと良い条件で進行しました。 -しばらく前に、日本側から入ってきた知らせによれば、ビクターは山口百恵以後、日本10代ファンだけでなく、世界市場でも大きく成功できる歌手として、キム・ワンソンにめぼしをつけているということですが、そのような話もありましたか? *日本側が、キム・ワンソンをとても必要としているのは、事実です。日本では、実際、世界的に大きなレコード会社が多くあり、世界市場に進出するためには、これらのネットワークを利用してこそ可能です。われわれとしては気に障ることではありますが、現在にあっては、わが国で世界市場に歌手たちを送り出し、スケジュールとプロモーション・ツアーおよび広報活動を担当できる組織と能力を備えた会社はないためです。 だから、われわれも、どうしようもなくて日本の組織を利用するのです。実際、日本が東南アジアの版権までもすべて持っている場合が多いです。キム・ワンソンについて、ビクターでは、アジア界の歌手として世界市場に送り出す基本条件をすべて備えた、アジアでは前例のない大魚だということを認定し、そこにふさわしい待遇をしてくれるとのことです。 -今回の日本滞留期間の間に、主に何をしましたか? *まず、ビクター側とレコード吹き込みをし、あちらの取り持ちで日本の音楽評論家たちとも会いました。また、日本側の歌謡関係者たちとも会い、情報を交換しもしました。 -キム・ワンソンさんは、日本に初めて行ったわけですが、あちらで特に見物をしたり、印象に残ったものは、ありませんか? *特別なことはなく、私は音楽をする立場で、公演に関心があったのですが、ちょうど、東京でマイケル・ジャクソンの公演が後楽園野球場でありました。なので、その公演をしつこく催促して、見に行きました。本当にすばらしい公演でした。 -では、今後の計画は?もちろん、あるでしょうが、この場で公開できますか? *現在は、具体的な事項をすべてお話しすることはできませんが、今まで見せてくださったファンのみなさまの反応と関心に、積極的にお答えすべく、引き続き努力をかたむけます。これからも見守ってくださり、関心を持ってくだされば、さらに良い歌でお答えするつもりです。
by tmasada2
| 2006-10-23 00:48
| 韓国いろいろ消息
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